安心感のある稽古

こんにちは。

野郎です。

今日は武器の話だよ。

空手に関係する棒とかサイのお話です。

空手と武器と組手(と対練も)が同じ技術体系ってどういうことかなってのを少し書いておこうかなと思いまして

前提

まずね、野郎は大したことを知りません。素人の言葉と思ってください。

加えて、書いてあることは野郎の独自解釈かもしれない。

先生の言葉をできるだけそのまま覚えるようには心がけてきました。人に伝える時にも、先生が言ったこと(「」にいれるようなこと)と、自分が試行錯誤の結果野郎が考えていることを、できるだけしっかり分けるようにしてきたつもりです。けどまー、それは難しいんだよね。人の記憶って、事実を記憶するようにできてないからね。混ざったり改変したりしちゃうもんなのよね。このあたり脳の構造の問題だからさ、非常に難しい。従いまして、そのあたり、野郎バイアスがあるんだと思って読んでね。

また、武器は大変取扱注意案件でして、迂闊なことを書けないという事情もあります。練習している人がたくさんいる流派になったけど、今でもきっと武器は取扱注意的に教えているのだと想像します。たぶん。よく知らないけれど。

なんというか、ぼやかしたような書き方になります。あと、ちょっとしか書かないとか、根拠をかかなとかあります。そのあたりをハッキリさせたい方は、ぜひ門を叩くとか体験するとかしてくださいー。

といったわけで、わかる範囲、覚えてる範囲、書ける範囲でほんの少しだけ思ったことを書きます。豊年祭で武器を見て、ちょっと書きたくなっちゃたんだね。

また、他流や他武術のことは野郎はよく知りません。全く知らないと言ってもいい。なので、書いてあることは「野郎が習っている空手」の話です。野郎はね、みんなそれぞれが好きな流派を楽しくやればいいと思ってるの。

ここまで書いてね、野郎は力が尽きつつある・・・。うーん。ほら、ややこしいんだよ。たいして分かってないし。

どうすっかな・・・・書けるかな・・・・・。

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共通とは

まー武器のことを書くんだけど、空手も武器も組手も対練も投げも捕手も、何もかも共通の稽古だと思ってやっています。それらが共通ってどういうことなのでしょう。

野郎としてはね、共通っていくつかの側面があると思うのです。例えば、空手マン養成ギブス、戦略(戦術?)(間合い)、とかがあるのかもしれないです。

同じであれば、何かの稽古をすれば全てで生かせるはずだと思います。

とはいえ、戦術とか間合いとかが共通ってこととかを書くのは野郎には無理です。稽古して見聞きしたことと、野郎の感想を少しだけ書きます。

例えば空手マン養成ギブス的側面

野郎はさ、拳法の型って空手マン養成ギブスの側面があると思うのです。やり込めば、拳法の求めていることをインストールできて、動きの中に自動化されるのじゃないのかと。自動化されれば動いたら拳法の動きになると思っています。この辺りはきっと、どこの流派でも同じことだとは思うのですが。

やってることがみんな同じ技術体系ならば、その自動化された動きは、空手でも武器でも対練でも組み手でも投げでも捕手でも同じはずです。

えーとね、ってことはさ、武器と空手が同じ技術ならね、空手の型そのままに武器を持てないといけないと思うの。空手はこう、武器はこうっていうことなら「同じ」じゃないよね。いや、別に同じじゃなくてもいいと思うんだけれど。同じというのであればね。

俺が知る限り、拳法はそこは基本的には同一です。わかる限り、って話かもしれないけど。だから、空手の形そのままで武器を持てます。同じ論理です。

とはいえね、拳法でもさ、同じじゃない部分があるんだよ。歴史的な話だと思うんだけど、不思議だよね。

えーとね、これは言っていいはずだと思うんだけど、某型は武器を持つことが前提にされてない。これは俺の意見じゃなくて、ボスが言ってた。だからあんまり好きじゃないんだよねーとか。その系の型がどうして武器を持つことを前提としていないってわかるかといえばね、武器は重いんだ。それが考慮されていなんですね。ナイハンチとセイサンでも、そのやり方では武器は持てないという形でダメ出しをされることもあります。

書いていて思ったけど、想像以上に書くの難しいな。。。。どっかに書いてあったら、今以上書きますが、どこまで知られていいことにしているかわからないので、ここまでにします。

っと色々書こうと思ったけど、荷が重いや。感想を書いているつもりだけど、それでも難しい。

野郎は拳法の稽古が好きだなー

他にも例えば、拳法は防具組み手をするけど、自由組手の前に約束組手をします。説明される理屈は型と全く同じです。投げとも捕手とも対練とも共通です。

武器にも約束組手があるのね。武器があるから間合は違ってきます。あと、棒に見えるけど槍だったりするで、危ないです。それでなのか、空手よりも緻密な感じがします。けど、戦術とか間合いの考え方は共通です。論理はここでも同じです。

全部同じってのはやってれば実感できるので、なんというか、安心感があります。

また、「意味のあることをやっている」感じもすごくするから、稽古をすると、とにかく何かを少しでも積み上げていっているって感覚を得られます。たぶん野郎は拳法のこの辺りのことが好きなんだと思います。やればやっただけ積んでいるという感覚です。稽古をすれば昨日の自分よりはほんの少しごくわずか進んでいる

たぶん野郎は野郎なりにずっと拳法をやっていくと思うの。

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そらー。

沖縄も随分と涼しくなってきました。秋ですなー。

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