本
虐殺器官 ハーモニー を読んだよ
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こんにちは。野郎です。ご無沙汰しております。生きています。生きていますよ。数ヶ月ぶりの更新っす。ちょっと色々と忙しくてのぅ。命に到らない程度にやって行こうと思います。今日は珍しくと申しますか、初めてですね、読んだ本のことを書くよ。ネタばれ注意というアレです。初めてだし、うまくポイントをはずしては書けないと思います。読む予定がある人は、ネタばれ注意標識以降は読まぬように。ちゃんと標識するので、そこまでは読んで大丈夫だよ。野郎は本は好きでしたが、たくさん読んできたってわけではありません。考えてみますと、もしかしたら野郎は、活字とか言葉が好きなのかもしれない。幼稚園に上がる前から新聞の文字を指差し、これはなんて読むのかとずっと聞いていて、かなり早く文字を習得したようです。内地にいたときに、マンションのポストに投函されていた宅配無修正ビデオチラシなどもたいそう熱心に読み込んでいました。筒井康隆さんが好きでして、15年くらい前までは新刊が出るたびに買っていました。全部は読んでないけど、色川武大さんも好き。洋物ですと、フィリップ・K
・ディックさんとか、ウィリアムギブソンさんとか好きっす。でも、15年くらい前からは小説はほとんど読まなくなっていたのだね。専門のことを勉強するのが楽しかったせいもあると思う。専門はきっともうやめるので、次は高校数学をきちっと勉強してみたいなー。ちなみにですが、映画だと攻殻機動隊シリーズとか、マトリックス、インセプションなどが好きっす。好きなもんの傾向が分かりやすいっすな。Kindle
本は、よくバーゲンをしているのね。季節だったり、日替わりだったりとか、色々と。あるとき、「ハーモニー」という本が値下がってました。200
円だったかな。少し調べたら、「虐殺器官」を書いた人の本って分かって、即行で買いました。読んでないのだけれど、「虐殺器官」ってすごいインパクトのあるタイトルでしたので、書店で見て記憶していたのです。著者は亡くなったらしく、この「ハーモニー」が遺作だったみたい。とても残念っす。時系列としては「虐殺器官」の後の話しが「ハーモニー」だったようです。逆順に読んだけど別に問題はなかったっす。2
作ともめちゃめちゃ面白かったので、興味がある人は読んでみてー。休みの日に、読みたかった本をゆっくり読むのは久しぶりで、とても楽しかった。寝床の脇に牛乳とおせんべいを用意して、窓からお日様の光を入れて、ゴロゴロしながら読むのです。悦楽の時なのですね。何年も小説とか読んでいなかったのですが、状況が落ち着いたら、時々読んでみようと思いました。この二冊を読んで、考えたことがあったので書きますー。本を読み返さず、連想して書いていることもほとんど調べないで書くので、間違っていたら、怒らないで、教えてくださいな。ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 ネタばれ注意 作品の時系列に従いまして、虐殺器官から。脳には機能が局在していると考えられています。視覚野とか運動野とかね。破壊実験とか刺激実験でわかってきたんでしょうね。で、言語も脳で処理する場所が決まっています。主にブローカ野とウェルニッケ野っす。ブローカ野は運動性言語中枢とも申しまして、発話に関する運動を扱っているらしい。舌とか喉とか。ここが壊れると、途切れ途切れの片言みたいにしか喋れなくなるんだって。でも、理解には問題ないんだって。ウェルニッケ野は知覚性言語中枢とも言いまして、何を喋ってるのかを理解する場所なんだって。ここがイカれると、すげー流暢に意味の通らないことを喋るらしい。音声言語に関しては、十分な時間があったのでこの程度には脳に機能が固定されたということだと思います。で、最近ネットで見たのだけど、裏を取ってないのでホントかわかんないけど、漢字を正確に覚えられない人がいるようなのです。書かせると、似たようなイメージのものを書くのだけど、不正確なのですね。文字の扱いについて、大体みんなが脳の同じ場所を使っているのかもしれないけど、そこを使っていないのか何なのか、ともかくうまく処理できない人がいるようです。文字って、長く見てもせいぜい1
万年くらい?なのかな。適応度に違いがあるなら、局在化の途中ってことなのかもしれませんな。薄っすら曖昧な記憶ですが、チョムスキーって人が言っていたのだと思うけど、ヒトは生得的に言語習得能があって、何語を学ぶかは環境次第だという説があります。アタマの中に言語の雛形みたいなものがあって、環境で花開くってことだと思っているのだけど、それで合っているのかな・・・・。間違ってたらごめん。ちゃんと分かっていないっす。ヒトには共通の言語的雛形が脳内にあるって話しだとして進みますねー。栗本慎一郎さんが書いていたことなんだけど、・生き物の生きる力、困難を乗り越える原動力は快感である・人間は集団的暴力が快感に感じるようセットされている・セットをはずすことができるかもしれないので、遺伝子関連の技術を全人類の前に可視化せよってのがあるの。で、栗本さんは、言語とか貨幣、文化的なこと、制度、穢れ、集団的暴力、過剰をためて蕩尽することは共通・同根のことで、それを比喩的にパンツって言っています、たぶん。パンツは、起源とか成り立ちも関連しているって話だったと思う。あ、でもでっかいパンツとか、そんな表現も読んだ気がする。パンツも色々で、滅多に脱がないパンツもあるみたいっす。合ってるのかな、大丈夫かな、俺。栗本さんは、ヒトの祖先種はアフリカ東部の大地溝帯の水辺に閉じ込められていたときに急速に進化して、いろんなパンツを身に着けて地溝帯から出たと書いていたと思います。地溝帯から出たときには、少なくとも言語も、集団的暴力も身につけていた。集団的暴力は快感としてセットされていたということだと思うっす。ところで栗本さんという方は物凄い人なので、読んでみることをおススメします。おススメは、意味と生命とか、パンサルシリーズ(なかでもパンツを脱いだサル)っす。
ホントすごいと思う。
もし虐殺器官なるものがあるのであれば、それは集団的暴力を快感と感じるヒトの特徴と関係しているのかなーと思います。虐殺という行為それ自体が快感と関係しているのじゃないかしら。ってことは、虐殺言語の成立は、言語とか集団的な暴力を快感と感じることなどが成立したころじゃなかろうか。地溝帯をでるころにはあったのじゃないのかしら。 もしそうなら、かなり古いはずなので、個別の言語(英語とか日本語)の中(奥?底?)にはないのじゃないかなーと思うのです。あるのなら、共通の雛形言語の中にあるように思います。ってことは、一度始めてしまうと、言語圏単位ではなくて、全人類的に効いてしまうのでは・・・。止まらなくなって、全員で殺しあっちゃう気がするのだけど・・・と思いました。あ、でも、この設定って、虐殺語法みたいな構造が全言語的にあって、その構造を通して暴力性のスィッチを押せるみたいなことだっけ?それなら可能なのかな。そうすると近縁言語といいますか、スペイン語で始めると、ポルトガル語とかイタリア語圏の人たちにも効いちゃわないのかな。ん?効果地域の限定って、メディアを通すことでやってたんだっけ?公共広告機構に混ぜ込むとかそんな形で。・・・・・読み返せって話ですね。ごめん。なんにしても、俺が不確かな事実に基づいて勝手に考えたことなんで、作品の面白さとは無関係っす。内容はホント面白いから読んでみて。あと、痛覚について、痛いと感じることと、痛みの存在を認知することは違うのだという着想がありました。調べてないけど、もしかして事実なのかな。どちらにしても、すごい面白いと思いました。その着想を技術的に応用するところまで考えられていて、すげーって思った。脳については、すごい勢いで分かっていってるので、ありえるかもーと感じます。まぁ、分かってきてるのはネズミの脳じゃねーのかって言う人もいるけどね。オプトジェネティクスとかびっくりしたもんなー。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%A6
)スタンフォードかどっかの講演動画がすごくよかった気がします。どこかにリンクを貼った覚えがあるので、リンクを知りたい方はコメントしてくださいな。色々書きましたが、虐殺器官ってのはすごいアイディアだーと思いますし、話しもすごく面白かった。好みが合いそうなら是非読んでみてください。すごいおススメっす。次はハーモニーっす。今回の更新は、何やらすごく長くなっている気がするので、サッと書きます。読了して、半村良さんの妖星伝を思い出しました。わりと最初のほうだったと思いますが、花が咲き、鳥が歌う春の森を見て、本当に美しいのか?という疑念が提示されます。あらゆる生命が食い合っていると。独立栄養の方々にとっては、食い合いというよりむしろ食われるばっかりなのかもしれないですどね。けど、彼らは資源をめぐる苛烈な競争をしていて、たとえば植物は光を奪い合っていますな。絞め殺し植物なんかを見ますと、かなりエゲツナイものを感じます。妖星伝では、こうも聞かれます。地球の生命の姿は本当に美しいのか?どの生き物も相手を殺すため、殺されないための機能に特化しすぎているっていうのね。生き残らないと繁殖適応度もクソもないので、そうなっちゃいますよねーってことっす。そう思うと、地球の生命はそのあり方自体が殺し合いと無縁ではないのでしょうね。虐殺するのは、暴力が快感とセットになっている人間くらいなのでしょうけれど。 なんでなの?っていうコトへの最初の回答がここには生命が多すぎるってことっす。多すぎるがゆえにこうなっているということです。なんで、ここには生命が多いのか?というと、すげー昔、地球の生命に何かが介入したって話しなの。介入者は、生命とはもっと疎なものであるって言います。この星は異常だって。介入者の事情で、生命が極端に密という、強烈に異常な状態にしたのですな。これは、進化史的にもあんまり変じゃないアイディアなのですね。エディアカラ生命群のころはのんびりしていて、生命「群」ってくらいだから、化石からは個体性もよくわからない人達がぼんやりとしていたころです。ところがカンブリアに入って、食い合いが始まり、一気に進化が加速します。赤女王のアレね、走ってないと留まってもおれないってやつ。このときとか、すげーアヤシイわ。 あ、そいうえば、シアノバクテリアの件もアヤシイわ。アヤシイコト多すぎっす。 恐竜の最盛期に巨大隕石をぶつけちゃうあたり、介入者はヤルときはヤルタイプっすね。
で、妖星伝では、最後のほうに介入者は出て行くのだけど、そのときに不施不受派(逆?不受不施?)の超絶坊主みたいのが重要な役割を果たします。キーは意識の連続性といったことでした。栗本さんが、このまま人間がうまいこと生き延びると、数百年以内に体を消せるって言ってました。そのときも、きっと意識の連続性ってのが問われそうです。詳しく書かないけど、栗本さんの金魚鉢論的にも流れはそっちだと思うんだよなー。と、ここまでは延々と
妖星伝の話です。あんまりにもネタばれすぎだし、長すぎて誰も読んでくれなさそうなので、もう書きませんが、ハーモニーのオチのところをみて、本当にそうなのかなーと思いました。動物は幸せなのかなー。そうは思えないんだよなー。でも、あのオチで硬直しない可能性も、伏線として張られている気もします。そう思うと、亡くなってしまったことが本当に残念です。とにかくものすごく面白かった。おススメです。この著者の新刊は出ないのだと思うと、とても悲しい。関連する話しでも、そうじゃなくても、もっともっと読んでみたかったなー。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。